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2013年10月30日水曜日

神のみぞ知るセカイ FLAG248 「The Better for My Enemy」 感想

サブタイトルは The Better for My Enemy.
調べてみたところ直接は出てこなかった。
どうやらシェイクスピアの喜劇が一つ十二夜に出てくるセリフの一つ「The better for my foes and the worse for my friends.」 からのようだ。
foe は古語で敵や障害といった意味なので、口語訳するなら enemy で良いのだろう。

The Better for My Enemy(foes) を和訳するなら「敵のおかげで良い目をみる」だ。
敵がなにを指すかは立場で変わるが、主人公である桂馬の場合はヴィンテージだろう。
ヴィンテージの計画によって未来に繋がる1手を打てる状況は、まさしく The Better for My Enemy だ。
原文では foes と複数形になっているが、今回のサブタイトルでは Enemy と単数形になっている。
しかし集団や組織を敵として指す場合は単数形でよいので問題ないか。

敵を香織と見た場合は桂馬は直接的には良い目は見ていない。
香織の起こしたアクションによる影響で桂馬が変化したことを長い目で見ればよい目と見ることはできるかもしれないが、さすがにこじつけが過ぎるだろう。
むしろ香織から見て桂馬を敵とした場合に、大きな転機となるイベントが起こると見たほうがしっくりくる。




どこまで上から目線でブレない香織さんは結構好きだ

桂馬は香織のことを自分と同じバカだと言った。
それは他人と向かい合おうとせず自分の世界だけで完結しようとしていたからだろう。
そのために他人を見下して利用する。

しかし桂馬と香織には決定的に違う点が1つだけあった。




文句だって言うし、できるならやりたくはない。
確かに自分の命がかかっているという状況もあったが、桂馬が多くのヒロインを助けてきたのはそれだけではなかった。
女神篇でもかのんが刺されたときに、自分にはどうにもできないと投げてしまうこともできたはずだ。
ちひろ攻略時に気づいたように”自分が攻略する”必要だって無い。

まぁ表面的には生意気だし、攻略自体はクズだといわれてもしょうがないことをやっているのもあって手放しで褒められる聖人の様ないい人ではないけれども。




香織の言う「いい人」も聖人のことではないだろう。
他人のために力を使う人のことだ。
モチベーションが他人にある人と言い換えることができるかもしれない。

他人を救うことに力を使ってしまえば、その分自分のために使える力は少なくなってしまう。
情けは人の為ならずという言葉があるように、自分に利のないことに時間を費やすのは無駄になってしまう。




他人の存在しない閉じた世界であれば、自分の幸福が世界の幸福になる。
しかし現実はそんなに簡単ではない。
自分以外の他人が存在しており、誰かが得をすれば他の誰かが損をしている。
そして誰もが”自分が幸せになる”ために生きている。




だから他人を慮っていては幸せになれない。
他人を糧にして進むことで初めて幸せを手に入れることができる。

香織の言っていることは悲しいことだが、ある種の事実だ。
世界には多くの人が存在し、それぞれがそれぞれの幸せを求めている以上全ての願いが叶うことはない。
どこかで妥協しなければ何も得られないことも多い。




だけどそれだけでは悲しすぎる。
例え世界の真実がそうであったとしても、それを認めて諦めてしまっては夢も希望も無い。




諦めずにみんなが幸せになれる道を探し続けなければならない。
どこにあるのかなんて分からない、誰もが幸せな世界なんて夢物語なのかもしれない。
それでも諦めてしまったら、自分勝手な世界を認めてしまったら人は前に進めなくなってしまう。




だから今はまだおぼろげでも、理想のセカイを目指し進まなければならない。
誰かが犠牲になってしまう結末は本当のエンディングではない。
悩んで苦しんで、それでも立ち上がろうと足掻いている人達が報われないセカイは間違っている。




誰もが幸せになれる結末を作るために。

それはゲーマーとしての責任か、それとも贖罪か。
あるいは現実と関わっていく自分の在り方を求めてか。


”運命をぶっ壊す”、それは”現実なんて所詮こんなもん”という諦めを否定するということだろうかか。
頑張ったら頑張っただけの幸せが手に入る。
苦しんでいる心を、助けを求めている手を誰かが掴んでくれる。
桂馬の見た理想のセカイがどんなものなのかは分からない。
しかし自らに課せられた役割を受け入れて再び歩き出すことを決意した。




さすがブレない香織さん。
ひどい自己矛盾である。
他人のために力を使うのはムダだと言いつつも、自分を助けろと言う。
自分の幸せのために桂馬に犠牲になれと言っているのだ。

どこまでも自分勝手な人だ。
他人を犠牲にしなければ幸せになれない、というのは筋の通った(部分もある)理屈だ。
しかしそれは他人を犠牲にする覚悟のある人間が自分の手でやって、犠牲にした人の分も責任を負うからこその理屈だ。
自分のために犠牲になれ、では理屈すら通らない。


ところで自己矛盾なのにブレないとはこれ如何に。




確かに桂馬は助けに来たと言った。
しかしそれはアクマの計画を頓挫させるという意味でも、香織を幸せにするという意味でもない。

事実として今ここで香織の心に穴があいても支障はあるかもしれないが桂馬は困らないのだ。
支障があるかもしれない、という部分を教えるとまた次の手を打たれる可能性があるから伝えないが。




香織が万が一の状況を想定した切り札を用意していないはずがない。
アクマに裏切られるとは思っていなかった、あるいはこんなに早く切られるとは思っていなかったというのはあるかもしれないが、香織が想定外の事態が発生した時のための何かを用意していないとは考えづらい。




実際香織は何かリモコンのようなものを隠し持っていた。



が、


ドクロウちゃんの見事なインターセプト!!


まじで優秀すぎるぞこの年上妹。

ドクロウちゃんからすると香織の取り出したものが何か分からない、場合によっては桂馬を害するアイテムの可能性もあるので多少激しいカットになるのは仕方ないだろう。




香織が隠し持っていたのは例の機械の制御装置だった。
この装置を使えば機械を止めることができるらしい。

もし桂馬の目的が女の子たちを助けてヴィンテージの計画を妨害することであればこの制御装置を使えば片がついただろう。
事後処理はあるかもしれないが、それで話は終わりだった。

しかし桂馬の目的はそうではない。
ヴィンテージには気づかれないようにする必要があるから、機械には作動してもらわなければならない。




だから投げ捨てた。

こういう場面ではブラフで投げ捨てた振りをすることが多いが、これはガチで投げてる。
まぁ持っていても香織に奪われて使われる可能性が残るだけなので投げ捨てた方が確実だ。




自分はアクマの味方だと言う桂馬。
嘘は言っていない。
香織の言うアクマと桂馬の言うアクマが違うだけだ。

桂馬の予定としてはヴィンテージには順調に計画を進めてもらう必要があるので障害は排除しなければならない。
前回香織に言った”態度次第”というのはこのことだろう。
香織に余裕が無く本当に窮していれば別の方法を取っていたかもしれない。




香織は桂馬に現実世界をゲームに例えて説明した。
現実世界が思い通りにならず、非論理的でクソゲーなのは桂馬も良く知っている。




生きてきた環境は当然違うだろう。
しかし桂馬は色々な人の生き方に触れてきた。
悩み苦しみ努力して、そして幸せになるための道を見失ってしまっていたヒロインたち。
形は違えど皆自分の理想を目指して苦しんでいた。

その苦しみを他人に押しつけようとする者が、幸せになることはできない。
痛みを避け、他人を傷つけるだけの人間に手を差し伸べてくれる人はいない。




ドクロウちゃんの言っていることは真実だろう。
実際自力で助かる方法があるのであれば、桂馬に助けを求める必要は無い。

香織が本当に他者を求めずに、自分だけが幸せなセカイを作りたかったのなら桂馬の助けなど当てにせず自分独りで完結してしまえば良かったのだ。




香織はそれを選択しなかった。
多分、選択できなかったのだ。

香織は両親がいないと言った。
それで子供扱いされなくて良かったとも言った。
その言葉は本当に本心からのものなのだろうか。

香織の境遇については委細が分からないので想像するしかないが、少なくとも暖かい家族に護られて生きてきていないのは間違いない。
子供扱いされなかったということは、それだけ甘えることも夢を見ることも許されてこなかったということだ。
どんなに頭が良かろうと小さな女の子にできることなんて高が知れている。

小さな力しか持たない少女は徹頭徹尾自分のためだけに力を使い、他人を利用して奪うことでしか生きていけなかったはずだ。
そしてその生き方だけが真実で、現実なのだ。
そんなセカイに生きている香織にとって周囲の子供たちはなんと安寧としていたことだろうか。
現実なんて知らないバカな子供たち。

理想のセカイなんてどこにもない。
夢のような世界なんてありはしないのだから、作るしかない。
そのために他人を犠牲にするのは正しく現実なのだと。

香織の前に現れた少年は助けに来たと言った。
でもそれを手放しに信じるわけにはいかない。
弱みを見せれば自分が利用されてしまう。
だから”助けてられてあげる”なのだろう。

他の子供たちとどこか違う桂馬は、もしかしたら自分と同じなのかもしれない。
だから欲しかった。
弱みを見せることはできないけれど、同じ目線に立ってそばにいてくれる友達になってくれるかもしれない。
そんな期待があったのではないだろうか。



うん、全部妄想なんですけどね。
この状況だと隙間の開かない香織すげぇ!ってなりそうだけれども、どんなに苦しくても隙間の開かない人もいるだろう。
なまじ頭が良い分、現実なんてこんなものだという妥協と諦めができてしまうのかもしれない。




天理ちゃんマジ女神。
年上に向かって”あの娘”呼ばわりは違和感があるが、怖い(悪い)人な香織さんを助けようと言える天理は慈愛に満ちている。




なん・・・だと・・・





ほんとだすげぇ!
ドクロウちゃんまじすげぇ。
スペック高すぎてやばい。

エルシィはマスコット枠で生き残れるからいいとしても、ハクアの立場が完全になくなるぞ!
チョロいん枠しか残ってないぞ!




今回桂馬は明確には香織を助けなかった。
極端な言い方をすれば白馬の王子様にはならなかったわけだ。
むしろ心を折りに行った魔女の使いとなっていた。

しかしそれが香織にとって必要なことだったのだろう。
香織は諦観とも言えるが、現実に納得している。
もちろんそれ以上の理想が叶えられるならばそうするが、それができなければ妥協された現実の中でそれを受け入れて生きていける。
夢のない話であるが、それが周囲を見下している香織にとっての現実なのだ。

それを変えるためには香織自身が苦しみながらでも変えなければならない。
そこで失敗して、どうしようもなくなった時に初めて助けを求めることができる。



一見すると桂馬は心の穴が開かないようにしただけで香織を見捨てているようにも見える。
しかし【みんなが幸せになれるセカイ】を目指そうとする桂馬が、ここで香織を見捨てるはずがない。
自分と似ているが対極に立つ存在との邂逅は大事を為すならば絶対に避けて通れない。
香織の言う幸せを叩き折っただけで前に進むのは、【みんなが幸せになれるセカイ】ではない。
それに(メタ的ではあるが)天理の出番が来ていない。
多分、天理の出番があるはず・・・

それに香織は周囲の子供たちに慕われている。
香織はバカだからと言っているが、子供ってそんなに簡単なもんじゃない。
騙されやすいかもしれないが、中には香織を支えてくれるような子もいるはずだ。
あとはそれに香織が気づくことができればきっと変わっていく。

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