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2013年9月18日水曜日

神のみぞ知るセカイ FLAG243 「Love's not Time's fool」 感想

サブタイトルは Love's Not Time's Fool.
愛は時の道化ではない。

自分はシェイクスピアには明るくないので検索してみたが、なかなか見つからなかった。
どうやらこの文句は所謂戯曲のタイトルや劇中のセリフではなくソネットにあるようだ。

この一文はソネットの116番にあるようだ。

Let me not to the marriage of true minds
Admit impediments, love is not love
Which alters when it alteration finds,
Or bends with the remover to remove.
O no, it is an ever-fixed mark
That looks on tempests and is never shaken;
It is the star to every wand'ring bark,
Whose worth's unknown, although his height be taken.
Love's not Time's fool, though rosy lips and cheeks
Within his bending sickle's compass come,
Love alters not with his brief hours and weeks,
But bears it out even to the edge of doom:
If this be error and upon me proved,
I never writ, nor no man ever loved. 


詳細は置いておくとして、内容は愛の賛歌だ。
全体を通して愛は移り気ではないし、時間によって変わって行くものではないと謳っている。

10年後から来た桂馬と天理の関係性について言及しているのだろうか。
前半の部分はちひろ編での桂馬の言葉を連想させる。




今回はサンデー表紙も神のみだったので、表紙を選択しようかとも思ったが巻頭カラーの天理がすごく良かったのでこっちにした。

こっちがサンデー表紙。


表紙の絵柄はガイドブックと同じ模様。
23巻の表紙も以前掲載した香織さんのカラー微調整。

まぁアニメ放送中だし、キャラソン他のイラストで手が回らなかったのだろう。
ちょっとスケジュール詰めすぎてた感があったからなぁ。


閑話休題。


・前回のあらすじ

天理ちゃんマジ天理。





幼稚園のころから一緒だっという設定は以前出ていた桂馬と天理。
その出会いから始る。

両者ともゲームとぷちぷちに夢中で相手を全く見ない。
こいつら現代に至っても全然変わってねぇ

ところで鮎川家がお隣のマンションとなっているのだが、小1現在の状態で桂木家の隣はマンションなのだろうか?
思いっきり住宅街にマンションは違和感がある。
一度引っ越して、戸建てのお隣さんになった可能性も微レ存。




オーブの力でリセット中の空間に飛び込んできた天理。
後先なんて考えてない。
桂馬が泣いていると思ったから、ただそれだけだったのだ。


そんな天理に独自理論全開で説明する桂馬

さすがブレない男として神に太鼓判を押されただけのことはある。
なまじ10年後に付き合いがあるせいか、遠慮がない。




ただでさえファンタジーな状況なのに、そんな理論理屈で説明されても伝わるはずはない。
天理のキャラクターがあまりに強力なため忘れられがちだが、

この時点では小学一年生なのだ。

ちなみによく間違われているが、天理の誕生日は1月3日なので7歳ではなく6歳だ。
桂馬は6月6日生まれなのでこの時点で7歳である。




もう前に進むのはイヤだ、と消沈していた桂馬だが進まなければセカイが救えない、セカイが成り立たなくなってしまう。
諦めてしまいそうだったが、なんとか踏みとどまっているようだ。
天理を、誰をも巻き込まずに先に進めるルートを模索しようとしている。

しかしこれはどうなのだろう。
パッと見はいつも通りの桂馬に見える。
天理(≒ヒロイン)の前だからこそ立ち直っているように見せているだけではないのだろうか。
一見天理に気を使って巻き込まないようにしようとしているように見える。
その実本当は利用していたという事実から逃げているのではないか。
最後の最後まで諦めない、結果が出るまでベストな選択肢を選び続けるそれが落とし神だったのではないか。
今は可能性を模索せずにまずリセットをしようとしている。
それは逃げているように見える。




天理は聞き入れない。

天理といえば桂馬の言うことをなんでも素直に聞くイメージがある。
実際桂馬もそう思っていた。

本当にそうなのだろうか。
10年後、ちひろに酷いことを言ってしまって自己嫌悪に陥っていた桂馬を元気付けたときも今と同じような状況だった。
そのときも桂馬に帰れと言われても帰らなかった。
元気を出して欲しいから、心配していたから。

人には性格がある。
それは三者三様、十人十色それぞれ違う。
これは完全に個人的な印象なのだが、鮎川天理というキャラクターのベースとなる性格は素直ではなく頑固なのだと思う。

なぜそう思うのかと問われると、あまり論理的な根拠はないのだが、ディアナとのやり取りを見ているとそう感じる。
ある一定のラインまでは受け流すが、それ以上は絶対に譲らない。
そういう意固地さを持っているように見える。




天理は何が起こっていて、桂馬が何をしているかは知らない。
それでも桂馬が普通でないことは分かる。
ゲームをしていないから。

これはやられた。
桂馬がゲーム魔であるのは設定であり、前提条件であり、読者は皆知っている。
しかし桂馬は今まで攻略中は基本的にゲームをやらない、あるいは頻度を落としていた。
それは今までの攻略を見ていれば分かる。
つまり桂馬にとってはゲームをしているのが当たり前であり日常であるのに対して、攻略(≒ゲームをしない)のは非日常であり普通ではないのだ。

ここに至るまで243話、たまにギャグ回としてゲーム漬けの回などはあったが、その非日常に慣れた桂馬と読者は”普通であること”から乖離してしまっていた。
それは桂馬が自然体で存在できていないことを示していた。




かつて未来で天理はゲームをしている桂馬が好きだと言った。
自然体で、日常に存在する桂馬。
本当の桂馬を見続けていなければ出てこない言葉だろう。





桂馬はルートを想定してそれに合わせたイベントを起こしてEDへと導いていた。
自分の想定していないイベントが発生した場合はそれは相手の情報が不足していただけであり、不確定だったルートを決定する要因でしかなかった。
そして自分に向けられた目は管理されたフラグによる印象であり、作り上げられた攻略用の人格への感情だった。

その全ては蓄積された経験と知識からくるモノであり、現実を加工して切り取った理想のピースとして当てはめていただけだ。
現実と向き合っていたわけでも、 自分自身が向き合っていたわけでもない。




大変な仕事とは何か。

死ぬほど長くて何が起こるか分からない。

それは今ではなく、未来へと繋ぐため。




同じことを、女神篇で歩美に言った。
しかし、そのときとは言葉の意味が違う。

他人の気持ちなんて分からない―――だから、ゲームのやり方しかない。
自分の都合の良いように他人の気持ちを動かすやり方しか。




今度は違う。
他人の気持ちが分からない―――だからその気持ちを聞く。
自分の言葉で、相手に聞いて、向かい合って、そのことばを信じる。




崩れ落ちるセカイで天理は約束する。





足場を失い、落ちて行くなかで、どれぐらい時間がかかる分からない、何が起こるか分からない約束に、手を伸ばす。





全ては、桂馬のために。
分からないことだらけでも、分かっていることがある。

幼馴染が泣いている。
心が泣いている。

その約束で救われる心があるのなら。




伸ばした手を、繋ぐことができる。
そしてこれはきっと、桂木桂馬が始めて繋いだ心なのだろう。




天理と共に”ループの外”に出た桂馬は、自分ひとりの攻略を終わらせた。
自分のしてきたことは他人を利用して、現実とも他者とも向き合っていないものだった。
そこから目をそらして、逃げ出して繰り返してもきっと前には進めない。

相手だけが手を伸ばしても、自分だけが手を伸ばしても、手を繋ぐことはできない。




だから今度こそ、2人で始めなければいけない。
例え歪でも、不恰好でも向かい合って前へと進んでいくために。



Theターニングポイント。
桂馬が初めてヒロイン、というか自分以外に対等に協力を求めた。
ついに、というべきかとうとう、 というべきか。
今までも局所的に状況打開のために協力を要請することはあったが、それはあくまでも攻略のサポートとしてだ。
人間として、等身大の桂木桂馬。
その桂馬が選んだ自分の手を繋ぐ相手は天理だった。
天理を選ぶ、というのは順当というか今現在の時点でここまで踏み込むことができるキャラクターは天理しかいない。
そういった意味でも色々と変遷してきた桂馬の相棒としてはこれが最終形なのではないだろうか。

桂馬の同類として描かれている香織と相対するのに、天理と手を繋ぐ。
これは今までの桂馬とこれからの桂馬の対比と考えて良いだろう。
身勝手な理想に現実を押し込めていた桂馬との対比。

今後桂馬が理想と現実をどう捉えてどう扱っていくかは分からない。
しかし今までとは違い、自分自身で向かい合っていくことになるだろう。
宿主との6股修羅場も女神篇終了直後にやるよりも、これからやったほうが面白そうだ。



・今週の香織さん


一応この人を攻略するシリーズになっているはずだったのだが・・・
イベント的には完全に天理に食われている。

まぁ桂馬の同類、桂馬vs桂馬を描くに当たって用意された器と考えれば良いか。



・今週のエルシィ


地味にちゃんと仕事してる。
しかし裏方というかサポート専門が板に付きすぎてて、これから復権できる気がしない。

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