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2014年4月16日水曜日

神のみぞ知るセカイ FLAG267 「コイノシルシ」 感想

サブタイトルはコイノシルシ。
説明不要のアニメ1期ED曲すな。

現在に戻ってきた桂馬がちゃんと宿主達と向き合う展開になるかと思ってたからキズナノユクエかと予想していたけど、そうでもなかった。
というか向き合わなさそうでやばい。
まじか。




今週のちゃぶ台悪魔ども。
ハクアはともかくノーラは馴染み過ぎである。

あれか、新地獄の悪魔たちは適応力が高いのか。




なんか色々あったけど、地獄の便所掃除は大成功!とはいかなかったようだ。
トカゲの尻尾切りということは本命を仕損じたということか。

それって根本的に解決できてないということではないのだろうか。
つまり新地獄の戦いは終わっていない。




ノーラ曰く組織全体がヴィンテージと繋がっていたから再編は必至とのこと。
そりゃそうだ。

しかしその機能が必要な以上、同じような組織が編成されることになる。
そしてサテュロスを一層出来なかったのだから、今までと同じようにそれが利用されることは十分に考えられるわけだ。

政治力の試される頭脳戦が繰り広げられることだろう。
描かれることはないだろうが。




よく言われる言葉ではあるが、それは政治力や後ろ盾がある者だからこそ言える言葉だ。
あるいは肩書きに変わる”力”を持っていなければ、その言葉に意味は無い。

ハクアの目指す理想の形がどのようなものかは分からない。
きっと最終回(または26巻の書き下ろし)で描いてくれるのだろう。

そこに至る力をハクアが持っているのか、あるいはこれから手に入れていくのか。
その物語も見たかった気はするが、残念だがここまでだ。




肩書きや成績に拘るのは悪いことではない。
大切なのはその目的がどこにあるかだ。

ただ肩書きや成績を求め、それを手に入れることを目的にしてしまうのは虚しい。
それらは目的を達成するための手段や通過点であってゴールではない。

ハクアは女神篇で地獄に戻ったときに、室長に新地獄の未来を託された。
(ぶっちゃけ今の今までそんなイベント忘れてたけど)
その時から決心はしていただろうが、今回のことで踏ん切りがついたのだろう。

成績で圧倒し、伝統という踏襲を破った実績はきっとその目的を為す足掛かりとなってくれるだろう。
何気に名家の後ろ盾があり、権謀術数に長けているノーラさんが脇に控えているのは心強い。




桂馬は現在に返ってきた。
自室に戻ってきているが、ここまで誰が運んだんだろう。




桂馬を縛っていた首輪はなくなった。
エルシィとの晩餐は夢ではなかったということだ。




ドクロウによって仕掛けられ、桂馬が準備し、攻略してきたゲームは終わった。
そのエンディングはどこへ向かったのか。


ところでそのゲームにおけるプレイヤーであった桂馬以外の功労者の女神とその宿主たちであるが、



これで終わりである。



・・・お、おう。
きっとあれだな、最終回でちゃんと向かい合ってくれるのだろう。




ゲームをしている桂馬(大)は久しぶりである。
女神篇終了時にもやっていなかったから通常攻略時以来か。

いろいろあってこういう部分が変わってしまわないか心配だったが、(廃)ゲーマーであるという根本は変わらなかった。
よかったよかった。

正直なところ現実と向き合うことを”成長”として扱う人が多く、ゲームから”卒業”するというのを是としている意見を目にすることが多々あった。
そういう流れにならないことは明白だったのだが、やはり気がかりな点だったのでそこが変わらなかったのは良かった。




桂馬が行方不明だったのは大体3日ぐらいだろうか。
ということは女神篇からまだ10日程度しか経っていないことになる。
時間間隔がおかしくなりそうだ。

しかし女神をしてブレない男と評されただけのことはある。
7歳児と反応が全く同じである。




・・・ん?えりちゃん?




えりちゃん?




げぇっエルシィ!?





これは桂馬でなくとも驚くわ。
エルシィのお願いは桂馬の家族になることだろうと思ってはいたが、こんなにあっさり出てくるとは思わなかった。




しかもちゃっかり過去改変までしてやがる。

この改変の影響ってどんなもんなのだろうか。
過去の記録と記憶をちょっと書き換えてるぐらいで済んでいるのか、それとももっとガチで書き換えてしまっているのか。

ところで七五三って男女同時に行うことってないんじゃね?と思ったが、どうやら本来は3歳の時に男女共に髪置きがあるらしい。
どうやら男児は5歳だけというのは最近出てきた風習みたいで、しかも結構地域性があるもののようだ。

ちなみに自分のときは5歳のイベントしかなかった。




エルシィ改め桂木えり。
漢字で絵里とかではないのね。

愛称がエリーなのは変わらないが、エルシィと呼んでいた桂馬にとってはちょっと呼びづらいか。




エルシィは本当の家族を求めていた。
その点は描かれているし、自分の出自を知ったエルシィが桂馬と妹として一緒にいることを選ぶことに違和感も異論もない。

しかし、


その状況は仲間を切り捨ててでも選びたかったエンディングなのだろうか?

多少境遇が違うとはいえ、一緒に育ったイーマの仲魔たちからも、姉と慕い憧れていたリミュエルからも、互いに尊敬し合える理想とも言える親友だったハクアからも忘れ去られてしまう。

天秤にかけてこの展開を選ぶことにエルシィは何も思わなかったのだろうか。
何よりも唯一無二の親友を失い、そのことすら思い出せないハクアのことは気にならないのだろうか。

エルシィの一番求めていたものは手に入ったのかもしれない。
でもそのために失われた物は、決してそれに劣っているものではなかっただろう。

単純に比較できるものではないし、比較することに意味は無いのだが素直に良かったねとは言えない、なんとも言えない感触が残る。




宿主たちのその後。
なんと一人1コマ(歩美のみ2コマ)。

君ら戻ってきた桂馬に言いたいこととか聞きたいこととかないのか。
あれか、みんなガチもんの女神なのか。

桂馬が現実と向き合う上で絶対に避けて通れない問題のはずだから、最終回に期待するしかない。
なかったらびっくりする。




桂馬が終わらせに行ったゲーム。
そのエンディングはどこへ行くのか。

桂馬を縛り付けていた契約はもう存在しない。
やらなければならなかったことは終わったのだ。

しかしまだ、エンディングを迎えるのには不十分だということなのだろう。




桂馬が向かった先はちひろの家。









・・・うん?



なんだろうこの展開。
あれかな5話ぐらい読み飛ばしてたかな?


とまぁ衝撃的、というか正直ちょっとなんでそうなるのか分からない状態。
理屈として通すことはできなくはないんだけど、ぶっちゃけ打ち切りENDという言葉が思い浮かぶ。
そのぐらいプロセスやステップが飛んでいる。

とはいえこの展開、最終回に向けてどう転ぶか分からない。
桂馬の意図が言葉通りとは限らないのでそれ次第である。

長い長い長文を書いて言いたいことはあるのだけれど、それは最終回を迎えてエンディングが確定したところでどうするかを決めよう。
つまり全ては最終回次第なのである。

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